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理由なき罪悪感にさよならしたい【zigzagエッセイ】

 

4人がけのテーブル席に家族で座って、中学生の私はメニューを選ぼうとしている。

 

美味しそうな、茶色いソースのかかったハンバーグや、シチューや、黒い鉄板に乗った肉の写真が並ぶ メニューを私は一つ一つ じっくり吟味して一体何を頼むか考える。ビニールがかかったメニューの全てのページをゆっくりめくって最後まで行くとまた元からめくり直す。食べたいものの候補を3つ 決め、一番食べてみたいのはこれだ、でもこれは高いとたっぷり逡巡して、またメニューのページをめくる。それを何度も繰り返す。私以外の家族は皆、とっくに何を注文するかは決まっていて、何も言わずに私を待っている。

 

 

県道沿いにあった、今はもう別の店になってしまったチェーン店のファミリーレストランだった。

父や母に、あまり高いものは注文しないで、なんて一切言われていない。それなのに私の頭の中にあるのは「あまり高額なものを注文しないようにしよう」ということだ。家計を把握していない中学生には、どこからが高く、どこからが安価なのかという線引きは曖昧で、合理的な理由も感覚的な思いつきも無いのに、「あまり高いものは注文しないようにしよう」と考えて、一生懸命自分の中で折り合いをつけようとしている。

 

斜向かいに座る妹に対しては、好きなものを選べばいい、選ばせるのがあたりまえだと思っているのに、自分に関してだけ、なぜか節制しようとしている。

 

 

ファミリーレストランの一場面を今でも忘れずに覚えているのは、私が「自分以外の誰かが稼いだお金」を意識して、本当の意味で尊重しようと考えた、最初の記憶だからなのか。

 

3才ぐらいの頃に理解した「欲しいと訴えても、全てのものを手に入れられるわけではない」というシンプルな真実に、「家計」という明確な理由が紐付けされた時期だったからなのかもしれない。

 

 

自分で稼げるようになった時は、嬉しかった。アルバイトで手にしたお金や、社会人として働き始めて手に入れたお金を、たとえ少額でも自分の好きなように計画して、好きなように使う。「これを買ってもらってもいいのだろうか」というようなことを一切考える必要がないという事実は、自由を得たような、力を持ったような、文字通り「独り立ち」した爽快な気分を味わせてくれた。



「私は『ここにいる皆さんと違って』パートタイムで働いていているんです。それは、フルタイムで働くことが怖いと思ったからで、、、」

 

 

自己基盤講座の中で、自分の体験をシェアする。

何で私はこんなこと話してるんだろう、と、どこか頭の片隅で考えている。でも、自分の説明したいことの核心に近づくには、周りくどいことをしなければ辿り着けない、ということもわかる。深夜といってもいい時間に、蚊取り線香のように外周をぐるぐると回る話を、講師も受講者も黙って聞いてくれた。

 

https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5754923d/f449.image



「私は、夫と同レベルで稼いでいない自分が、自分のために家のお金を使うことに罪悪感を感じるんです。何故だかわからないけど」



言いたいのは、仕事の話でも何でもなく、そこだった。

口に出してみると呆気ないぐらい簡単な一文が、頭の中に理由不明のモヤモヤした何かになって(それはもはや呪いではあるまいか)長年居座っていた。

 

私の理性は「別に家計が傾かない程度なら使っても問題ない」と言っている。更に、夫(趣味=海外旅行、数週間から数ヵ月単位)や子どもに対しても、可能な範囲でお金を使っていい、と思っている(子どもの趣味=ゲームに関しては制限した方がいい、というような気持ちは、ちょっとある)その理性が自分に対してだけ、働かない。使ってはいけないのではないか、といつも思っている。



自分に対して何とか許可を出せる金額にはっきりとした線引きや合理的な理由は、たぶん、ない。呆れることにファミレスの座席に座っていた中学生の時と全く一緒だ、2000円でもためらうことはあるし、10万円を必要経費だと感じることもある。でも確実にモヤモヤは存在していて、私は初めて、これから先の人生のために、このモヤモヤの話をしてみよう、という気がしていた。



私の話を聞いた真樹コーチは、「『私は○○をしたいから、そのために○万円が必要』って具体的に言ってみればいいのよ」

と言った。

「一番聞かなければならない人に聞いていないんだね」

とも。

 

真樹コーチのアドバイスは、今コレを読んでくれている方が考える事と同じかもしれない。至極真っ当なことだ。

その、冷静に考えてみて当たり前だ、と思うことを、私はどうしてもできないでいる。考えてみても理由はわからない。それが故に、ぐるぐるとした実体の無いモヤの塊みたいになったヤツは、頭の中のどこかに居続けて、ふとした隙に足を引っ張ろうとする。



講座の中で、コーチに「実際に聞いてみればいいのよ」と言われた。『宿題』ならば、やらなければならない。小学生の時に培った真面目さが後ずさる背中を押す。

 

 

落ち着いて話ができるタイミングを見て、夫に話をした。実際に「私は○○をしたいと考えていて、そのために○万円ぐらい必要なんだけど」と言う時にはすごく、緊張した。

『駄目かな、やっぱり駄目だよね』という表情になっていたと思うし、『とても頑張って』声を出した。「それはちょっと待って」と言われる心の準備をして、無意識に身構えていた。まるで、職場で面倒なお客様の所へ向かわなければならない時のような緊張感だ。心情的には逃げてしまいたいけれど、何としてもこの緊張感をクリアしないといけない、というような感じ。



当たり前すぎてよく忘れてしまうことなのだが、

『自分が思っていること、感じていることや考えていることを言った結果、相手がどう反応するのかは相手の自由』なのだ。この当たり前のことを、私はコーチとのセッションや、自己基盤講座の中で、本当の意味で理解するようになった気がする。

 

相手が驚くか、驚かないか、受け入れるか、受け入れないか、怒るのか、怒らないかは、私ではなく相手が決めることだ。
私が思っている通りにならない可能性もあるし、意外に、希望通りに物事が運ぶ可能性もある。

その当たり前を『ちゃんと』理解して=怖がらず、恐れず、拒否せず 受け入れた上でアサーティブな方法で話をしてみる・・・トライしてみることは、何の問題もないことなのだ。



それなのに発言したらマズイのではないか、聞いたらいけないのではないか、どうせ否定されるに決まっている、と思い込んで、何もしないでいると、何年もかけて呪いの黒いモヤモヤが育っていく。

そして、そいつは頭の片隅に居座って、いろんな場面で「こんなことやっても意味が無いんじゃない?」とか「やっぱりダルいからやめておこう」とか「もうこんな年だし」「時間が」「お金が」というような声になって足を引っ張るのだ。



果たして、私の話を聞いた夫は「いいじゃないの。いいですよ」とあっさり言った。第1種戦闘体勢(それはちょっと駄目でしょう、的なことを言われて、不満いっぱいになるであろうことを予測して身構えている)が続く私にしてみれば、肩透かしを食らったような気持ちになって「本当に大丈夫ですかね?」と『駄目なら断ってくれてもいいんですよ』感を出してしまったぐらいだった。

 

 

それ以上、おおごとになることはなく、険悪になることもない。フワフワとした妙な気分を誤魔化すように「ヤッター、豪遊してやるぜ〜」と、上滑りしている感が拭えない冗談を言いながら、私はまだ「あれ、いいのか?本当にいいんだよな?いいんだっけ?というか、言っちゃったよ・・・言ってやったわ・・・」などと考える。考えはするけれども、呪いの黒いモヤモヤは薄くなっていた。



そのおよそ1ヶ月後、呪いのモヤモヤは殆どが消えた。



夫は人生の局面で重大な場面にいた。仕事人生の終盤に訪れた、かなり高レベルな危機的状況。

話を聞こう、と思った。普段は適当に流していても、ここは徹底的に聞く所だ、と直感的に思った。

 

 

単身赴任の夫から電話がかかってくる。状況の進行に合わせて、電話の頻度は増え、時間は長くなる。

一番すごい時は、出勤前に1時間話を聞き、昼休憩で話を聞き、夜に2時間話を聞く、というような状態だった。

 

 

コーチングセッションだったら1時間程度で終わるような時間が、家族の話であるが故に終わらない。電話は毎日続く。夫の心情は察するけれど、さすがにきつくなってくる。どうしたもんかな、と思った時に真樹コーチの言葉を思い出した。

 

「フィードバックをもらう、と思ったら怖い。でも取りに行くとなったら強くなるんですよ。」

 

いつか聞いた、自己基盤のメンバーに対する、アドバイスだった。今回の私のケースには全く関係のない話だったのに、ぴたりと胸の中にはまった。「そうか、これは今までのセッション経験をどこまで活かせるか、試すチャンスということか。」

延々と聞かされると思ったらきつい。でも、聞きに行く、と思ったら強くなる。

 

 

講座の内容も、見聞きしてきたセッションも、今までコーチからかけてもらった言葉も、思い出せるものは全て活かす。使える技法は全て使おう。



仕事帰り、スーパーの駐車場に車を停車した途端、夫から電話がかかってくる。車の中で突然はじまるガチンコのコーチングセッション。話を聞くうちに日は暮れ、周囲は暗くなり、夕方の買い物客の車がどんどん出ていって、気がつくと駐車場に停車しているのは3台ほどになっていた。

ようやく買い物をした後、さすがにへとへとになって帰宅すると、子どもがゲームをしながら「おかえり〜」と気の抜けた声で出迎えてくれた。

 

 

「いやあ、さすがに疲れたわ〜、今日は3時間以上も話を聞いちゃったよ、こりゃお父さんは相当スッキリしたね。でもさすがに3時間越えは疲れたわ〜」

とドサドサ荷物を置きながら言うと、子どもは「うえぇ・・・」と、唸り(所謂、ドン引きしている声)

「お母さんはさぁ、『お父さんのお陰で生活ができるんだよ、とか『私はお父さんみたいに稼いでいない』って言うけど、それ、お父さんの助けになってるんじゃないの?お父さんの給料の半分ぐらいはお母さんのお陰じゃないの」

と言った。

 

 

えっ・・・そうかな、という私の声に、子どもは好きなYouTuberの真似をして「ソウダヨ!」と答える。携帯ゲームから目を逸らさず、忙しなく指を動かし続けたままで。

 

 

そうか、私の働きはちゃんと貢献になっているから、夫が稼いだお金を自分のために使ってもいい、遠慮しなくてもいいのか。

子どもの何気ない一言でしかなかったのに、自分でもびっくりするぐらい、安心した。どこかでまだ生き永らえていた呪いのモヤモヤがすっと消えた感じがした。

 

 

なんでだ?どうして、たかが子どもの一言がここまで自分を軽くしてくれるんだろう?全くもって、自分でも不思議でならない。夫の言葉も、自分自身の理性も、呪いのモヤモヤを消しはしなかったのに。

 

三者(完全な第三者とは言えないけれど)の意見だったからなのか。私は誰かから「あなたの働きは時間給労働を越える価値がある」と言われたかったのか。正直なところ、よくわからない。

 

 

ただ、言えることは、

自分のためにお金を使う。それは、望む自分でいてもいい、ということだ。お金を使ってもいいし、使わない、ということを選択してもいい。たとえ湯水のようにお金を使えるような環境でなくても、関係ない。主体者は自分。「こうあるべき」「こうすれば将来安泰」という他人の人生の智慧=呪いのようなもの、を授けた誰か(何か)に、死ぬまで従うのではない、自分の基準を軸にして生きるということだ。

 

 

自己基盤の学びを何かに例えるのは難しい。すぐ近くにあるのに、深く遠く、モヤモヤと掴み難い。自分の奥から細く伸びているほつれた糸を、慎重に手繰り寄せるようにして核心に近づいていく作業だ。油断して不用意に近づきすぎると大火傷して、文字通り涙が溢れる。

真樹コーチは「こんな危険なこと、1人じゃできませんよ」「みんなで一緒にやっていくから乗り越えられるんです」と言う。

 

 

心が軽くなると身体も軽くなるって本当だなあ、と最近思っている。

自己基盤講座を受講して1年半。人生に寄り添う学びを続けていきたいと思っている。



【自己基盤講座あるある】

 

  • よくわからない、これで本当にいいのか、(意味あるのか?)どうもピンと来ない、という気持ちになる

  • 真樹コーチはええっ、ここまでグイグイ言うんかい!と思うようなことを言うことがあるけど、後から音声を聞き直すと、この受講者の(そして私の)人生に必要だと判断して、ズバっと切り込んでるんだなあ、と思う。
  • 講座当日は頭の中が忙しくて感情が上下していてよくわからなくなっているので、音声録画聞き直しを推奨したい(私が内省上位だからかもしれない)
  • わからない、わからない、が続いていても、全く関係ない瞬間に「あっそうか、そういうことか」と突然気づくことがある
  • 数ヶ月かけて少しずつ自分が変わってきたと思う。なんだか、だんだん子どもの時の感性に近づいてきたような感じもある
  • 心が軽くなると身体も軽くなる