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海底に眠るモンゴル襲来ー水中考古学の世界 に行ってきた!

「おすすめ」は時間を喰っていく。

いつの間にか貴重な休日が消える。大抵気づくのはそれが溶けて消えてしまった後で、「今日『も』やっちまった」とすっかり暮れてしまった窓の外を見上げながら呆然とする・・・

 

 

が、今回は違いました。

「あなたへのおすすめ」で上がってきたこちらの動画があまりにも興味深くて、「もう今日しかない!」と思い立ち、片道1時間半かけて行ってまいりました國學院大学博物館。

 

 

 

特別展、大興奮でした。

面白すぎてお土産に本を買ってしまいました。

 

 

 

ということで、今回は「海底に眠るモンゴル襲来ー水中考古学の世界 に行ってきた!」をお届けしたいと思います。

それではいってみよ!

 

 

今年は元寇750年

いや〜、あなた知ってました?今年が元寇から750年だということを。
恥ずかしながらワタクシ、10月になってやっと知りました。おすすめに感謝。

 

 

上記のたいへん長い動画、見ていただければ全てわかることではありますが、
元寇ってなんだっけ?教科書で読んだけど忘れた〜」という方のために簡単に解説すると、

 

 

鎌倉時代モンゴル帝国=「元」の大軍勢が、海をこえて九州に攻め入ってきた。

(7年おきに2回来た)

 

 

数と近代的武器で勝るモンゴル軍と、各地から集まった鎌倉武士たちが死闘を繰り広げるも、

 

 

鎌倉武士の奮戦により、モンゴル軍は日本を征服できず。大嵐の被害もあって撤退(日本ラッキー)

 

 

その時の船が北九州の海に沈んでおり、近年の調査で色々なことがわかってきた、ということなのですよ!あ〜ロマン!

 

モンゴル軍はどのぐらいの規模だったのか?

実際に300艘ずつだったわけではなく、 文学的に綺麗に表現しただけらしいので、本当はちょっと少なかったかもしれないが、北九州沖に外国船の大軍団が現れたわけですよ

 

 

そりゃ大騒動であったと想像できる

 

元史 巻208 列伝95 レプリカじゃない、本物が展示されていた。ロマン!

 

バートル舟って何?と思ったら私も知ってる単語だった。

モンゴルの首都、ウランバートルの「バートル」なんだって

 

...はバートルで「勇敢な」の意である。ウランバートルのバートルとしてわたしたちにも親しみがある。疾は疾風に同じく早い、だから「勇敢で軽くて早い舟」、つまり危険な敵前上陸に耐えうる勇敢に突き進むスピード小舟である。 

服部英雄 「蒙古襲来と神風」中公新書 2017年

 

 

覇権国家の外交は今も昔も変わらないらしい

ところで、元=モンゴル軍は突然わーっと攻めてきたわけではなく、何度もわが国にプレッシャーをかけた上で、最終的に攻め入ってきたらしい。


(当たり前といえば当たり前だが、学校の勉強も子ども向けの本もそういった実際の肉付けが抜け落ちているよね)

 

 

実際に外交的圧力をかけてきた、という記録がこちら

大蒙古国皇帝奉書 (蒙古国ちょう状)フビライ・カン 元・至元3年
フビライの時代の本物?本物なのか?ロマンが過ぎるだろ

 

用兵夫執所好=兵を用いるに至るは、夫(そ)れ執れか好む所ならん=(きみたちうちの国と通交するよってなかなか言ってくれないけどね、)兵を送りつけて無理やり通交するように働きかけるなんて、誰がやりたいと思う?もちろんやりたくないのよ。だからきちんと意図を汲んで、こっちの思い通りになってほしいんだけど。どや?=大国の威嚇(appe的意訳)

 

 

この親書を見た鎌倉幕府と朝廷は大変に警戒し、正式な返事を(すぐに)送るのをとどまったらしい。

 

 

モンゴルに征服されそうな朝鮮南部から「たすけてー」って使者が来たり、(巻き込まれたくないから無視)日本と長く貿易をしていた宋が攻められたりしている情報は入ってきていただろうから

 

 

「なんだかすごい蛮族がとんでもない勢いで周囲を征服しにかかっている」「これは一歩対応を間違うと大変なことになるぞ」と考えたことでしょう・・・

 

 

これが噂のアレか!

ところで、社会科資料集なんかに絶対掲載されている「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)なんとなく見た記憶がある人もいると思います。

蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば) 
現在、宮内庁所蔵の国宝らしい!知らなかった〜



長弓と古式ゆかしい矢と刀で戦う鎌倉武士。

対して騎馬民族であるモンゴル軍は短い弓、高い機動性、火薬を使用した近代的兵器「てつはう」使用で鎌倉武士たちを大いに苦しめた、っていう説明に使われるアレ

 

 

その「てつはう」の現物が・・・!

中に鉄片や陶器、木片が詰まっていたのがわかるんだって。かなりの殺傷能力

 

ええー!あれがこれか!大興奮。

 

 

人の営みは変わらない

 

最近よく思うのは、「人間というものは5000年の昔から今まであまり変わってないのではないか」っていうこと。

 

 

メソポタミア王国の人も殷の人も現在の人も、使っているツールは違えど、考えや行動は同じなのではないかと思うわけです。

 

 

硯を持って船に乗り込んだ人は、「死ぬかもしれんからつぶやいとこう」と思ったのか、あるいは「公務員だからお仕事で記録をとるために最上のツールが必要」と考えたのか。

 

 

匙も引き上げられてるので、元寇多国籍軍だったということが裏付けられる。

 

 

確かに現代でも金属のスプーンを使うのは朝鮮半島の人。中国人が使うのはレンゲ(当時は陶器だったんじゃないかな)

 

 

「あー元の奴らの命令で日本を攻めるの嫌だ〜」って思ったかな。兵隊は戦争するのが仕事だ、と思ったかな。農民なのに徴兵された人かな。兵装備の支度の中に匙を入れた朝鮮人がいたことを想像すると、なんとも言えない心地になる。

 

 

國學院松浦市のロゴが入った潜水服がかっこいい

 

 

まとめ

  • 世の中を知った後で歴史的事象を見直すのはとっても興味深い!
  • 水中考古学はロマンの塊

 

 

というわけで、ロマンと妄想を刺激される、大変にワクワクする特別展でございました。

國學院博物館の特別展は内容を変えてまだまだ続きますので、興味がある方はぜひ行ってみてくださいね。

 

 

この本ほんとに面白い

 

 

何が面白いかって、「鎌倉武士が大苦戦している時に台風が来て蒙古船団全滅、一晩で逃げ帰ったのが『神風』ってことになって、第二次大戦の時にプロパガンダ的に使われたんでしょ?」が完全に間違いであることを、丁寧に解説していること。

 

台風で船団全滅=まちがい

一晩で逃げ帰った=作り話

プロパガンダ的に使われた=第二次大戦の時だけじゃない

日本人がなんとなく信じている「元寇の時の台風がカミカゼの起源」=まちがい

 

あと、元が日本を攻めようと考えた理由

理由なんて小学生の時は考えたこともなかった・・・
「すごく強いから、周りの国を征服しようとしたんでしょ?」って思ってたし、昨日までそう考えてた。

 

 

こりゃあびっくり

 

museum.kokugakuin.ac.jp

國學院大学博物館は入場無料