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「価値」に向き合うまでの旅【zigzagエッセイ】

あなたは、ついつい夢中になり、時間も飲食も忘れ、取り組んでしまうものがあるだろうか。または、そのぐらい何かに没頭した時代があっただろうか。

 

 

大人になるにつれ、捨てられないものが増えるにつれ、情報にまみれるにつれ、やらねばならないこと、自分の感情は棚に上げて「やるべきだ」と自分を縛ること、いかに効率よくそれらをこなしていくか、という技術やモノの獲得に生活の多くの部分を侵食されて、何かに没入することを忘れていく。

 

 

誰もが持っていたはずの、これはすごい、なんて面白いんだ、もっと知りたい、やりたい、という純粋なエネルギー。

それがいつの間にか、「〇〇を優先すべきだ、私は◯◯だから」または「もうそんな年齢じゃない」といった理由で「いつかやる」付箋がはられ、幾重にも布をかけられ、埃が積もり、「古いガラクタ」と成り果てて、「捨てはしないけど今は必要ないもの」「過去の私」という扱いで心の中の倉庫の奥の、それも一番奥に置かれて日の目を見なくなってしまう。

 

 

私は、そうだった。
これは、そんな私が自分の「価値」のひとつに近づいていくまでの話だ。

 

 

【目次】

 

私の「価値」とは何なのか?...自己基盤WSで気づき

 

あなたは、どのような状態を手に入れたいのですか?どんな自分になりたいのですか?何を得るために来たのですか?

そう問いかけられて困惑した。

 

 

1年前、近藤真樹コーチの自己基盤ワークショップ『価値を中心に再適応する』に参加した時のことだ。

(*自己基盤における「価値」は通常使われる言葉である「価値」とはだいぶ違う)



「お金に困らなくなりたい」「好きな時に好きなように時間を使うことができるようになりたい」「面倒なことはやらない毎日」「気の合う人と一緒に過ごしたい」「スッキリした部屋で過ごしたい」

そんな欲求は頭に浮かぶ。でも、問われているのはもっと根源的な何かで、私の欲求とはどこか違う。



一緒にワークショップを進めていく仲間に手伝ってもらい、アドバイスをされながらようやく出てきた言葉は「情熱的に没入する私になる」だった。

たった12文字だ、短い。たったこれだけの文字を、正直、無理やり考えた。「ひねり出した」に近い。ひねり出したにも関わらず、どこかで「これでいいのか?」「そうは言っても」「?よくわからない・・・?」という呟きが頭の片隅にあった。



しかし、そんな私が2日間のワークショップや参加者との交流を通して、変わった。変化は少しずつ、しかし確かだった。青虫が蝶になるように、とまではいかないかもしれない。でも日焼け後の肌がポロポロと剥けて、1ヶ月後には別の皮膚をまとった自分になっていた、ぐらいのスピードではあるが、確実に変わっていたのだと思う。



幻が息を吹き返す...国立国会図書館

ワークショップが終わった後、思った。子どもの頃、繰り返し熱心に読んでいた本、アレが自己基盤で言うところの「価値」に近いものなのかもしれない。

あれが、私の人生の「没入する」の最初なのかもしれない。とは言っても、確信は無い。「かもしれないな。どうだろう?」ぐらいの感覚。もう一度、あの頃の自分の感覚に近づいてみたくなった。



あの、茶色い表紙に金色の飾りの本・・・そして学研まんが。私が何度も見ていたあの本は、何という題名だったか。

早速ネットで検索してみる・・・見つからない。近い言葉を並べてもたどり着かない。1980年代初頭は気がつくと遥か時の彼方、近所の図書館の書庫にも無い。絶版になってしまった本を置いているのはどこだろう?



国立国会図書館には全ての本がある」と気づいて、「試しに見に行ってみよう」と思った。こんな時は東京から遠くない場所に住んでいるのは有り難い。

こんなことがなければ国立国会図書館にわざわざ行こうなんて考えなかった。この時点で今までやらなかったような行動を起こした自分自身にびっくりである。

 

 

自分にびっくりしつつ、ちょっとしたお上りさん気分で永田町に行った。テレビの中でしか見たことがない国会議事堂の特徴的な屋根を横に見ながら、書籍の巨大宮殿へ。

 



一般的な図書館に比べて、少々複雑な手続きをふんで新旧の建物が接続された巨大施設に進み、パソコンで蔵書を検索する。

何度か言葉を変えて検索窓に入力し、これではないか?と予想するものを3冊選ぶ。30分ほど待って(司書が巨大書庫から持ってきてくれるシステム)手にした本は自分が記憶しているものと違う本ではあったが、とりあえず見てみることにした・・・ゾクゾクした。



何度も開かれ、折り目がつき、表紙が劣化してしまった子ども向けの本の中に、忘れていた70年代の世界が息づいていた。

「なつかしい」「エモい」なんて言葉は軽すぎる。記憶の古い井戸の底から、原風景のごとき幻影が息を吹き返し、飛び出してきて揺さぶられる。「ああ、あの頃の本はこんな挿絵が多かった」「こんな表現をたくさん読んだ」蘇ってくる記憶を辿りながら夢中で読んだ。



探していた本とは出会えなかったが、過去との邂逅にちょっとしたショック状態になって帰宅した私は、国会図書館で読むことができなかった学研まんが(国際子ども図書館の蔵書だったため)を中古で手にいれることができることに気づく。早速、購入ボタンを押す。



重版したであろう「古代遺跡のひみつ」(後から確認してみたが、1980年の初版から7刷、なんと19年間売られ続けていた)は、国会図書館でもたどり着けなかった、茶色い表紙の本と違い、驚くほどすんなりと家に届けられた。



ドキドキしながら開く...全部覚えていた。あの頃が蘇った。

今はなくなってしまった家の2階の、桜島が見える東の部屋の隅、学習机に向かって座り、ノートやドリルを広げたまま、勉強をせず本を読みふけっていた自分。何度も繰り返し開き、世界の謎に魅入られ、遠くの時間と遠くの場所に思いを馳せた自分。

頭が牛で身体が人間の怪物。地下迷宮と神話。作り話だと思われていたものが本当に発掘されてしまったという、驚くべきストーリー...

 



色褪せて忘れて、遠くに置いてきてしまったと思っていたものに、再び心を揺さぶられていることに頭を抱えたいような気持ちになった。

こんな不思議な話ががあるんだ。見てみたいなあ、と思っていたはずだ。

見てみたいけど、まさか自分がそんな遠くに行くことはできないだろう、とも思っていた。お金もたくさん必要だろう。そもそも、どうやって外国に行けばいいのか。

飛行機に乗った経験すら無い、勉強するふりをして隠れて本を読む小学生には想像すらできなかったのだ。



やらない理由よりやるための方法を考えろ、現実的に

閉ざされた世界の小学生の気持ちを、四十数年ぶりに再び味わっていた私の中で今の私が声をあげる。

いや待て、今行けるじゃん。

 

 

私はあの頃の私ではない、どうやって外国に行けばいいのかを知っている。お金も準備できる。私は物理的な力と知識を手にしている。そして唐突に、自分に残された「充分な」体力と気力のリミットに気がついた。



5年後の私が今と同じ体力があるか?5年後、親は今同様元気で、介護の心配をしなくていいのか?

5年後、またパンデミックが起きて世界中で鎖国状態にならない補償はあるのか?

5年後、台湾侵攻で今みたいにに呑気にお手軽に出入国できない状態になってはいないか?

5年後、中東情勢がアホみたいに拗れて航路が迂回するような事態になっていないか?

5年後、南海トラフ地震でインフラがぐちゃぐちゃ、株価急落、経済混迷、旅行どころじゃなくなっていたら?

 

 

ちょっと、呆然とした。



円が安かろうが、多少のハードルがあろうが、そんなことにかまっている暇はなのでは?

ハードルをどうやってクリアするかを考えてみるべきだ。

行こう。



子どもの弁当はどうする?2週間は買い弁当で乗り切る。むしろ喜ぶだろう。

習い事の送迎は?せいぜい2回程度、1時間かけて電車で行ってもらう。(行き帰りにジュースを買ったりすると、これも嬉しいかもしれない)

せめて受験が終わってからにすべき?それって「テストが終わったら」「文化祭の手伝いが終わったら」「夏休みが終わったら」「高校を卒業したら」的な、『永遠にやらない理由を探し出す』」ループにはまっているのと同じなのでは?

夫は今、単身赴任ではない。有り難いことに「行きたい時に行けばいいよ、自分が全部やるから」と言う人だ(旅行のために1ヶ月単位で何度も家を空けてきた人だ。私に何が言えようか)

正直、「全部僕がやるから」は信用できないが、それを言ってしまっては『永遠にやらない理由を探し出すループ』にはまってしまう。

パート先は...「実家の親が具合悪くして」って嘘をつこう(小心者です)

私が物理的に、日本にいた方がいい日はいつか?年間カレンダーを出し、模試やテストの日程を全部チェックして、面談がありそうな日に印をつける。そこを避けて決めた日程は6月、または7月。

 

 

呪いの言葉の正体とは

大人にとって、季節が1つ過ぎるのなんてあっという間だ。

 

 

てなことをやっているうちに、あっという間に数ヶ月が過ぎた。

 


今、思い返してみると、誰も「子どもは?(誰が世話するの)」「家族は?」「仕事は?」と言わなかった。驚かれたのは『1人で行く』という1点のみ、その他のことを気にしていたのは私だけだった。


もちろん、環境に恵まれた、ということはあるだろう。陰キャが自己開示する方法を学べた、この巡り合わせには感謝しかない。否定せずに話を聞いてくれるコミュニティがあるのは恩寵に近い。
実際、職場の私は「⚪︎⚪︎という風に思われたらどうしよう、嫌だなあ」と気にすることをやめられないので、職場の同僚とはこういう話をしていない。
(でも、それでいい。『わかってもらえなさそうな環境』で不貞腐れたり、卑屈な態度をとる必要もない。どれだけ自己開示の努力をするか、しないか。それを『意識的に』決めるのも自分。これも自己基盤の学びだ)

 

呪いの言葉...自分の行動を制限するもの...は自分が吐いているのかもしれない

自分自身が親や環境に影響を受け、より強くなるように呪いを編み込んで、これを失うと人としてダメなんじゃないか?怒られるかもしれない(誰に?...たぶん答えは無い)と、まるで命綱のように握り続けているのかもしれない。

世の中は変化し、黒電話はケータイになり、自分は40年前の自分とは違う自分になったかもしれないのに。

 

 

「価値」に辿り着くと自然と力が沸いてくるって本当ですか

とうとう憧れの旅を実現させちゃったappeちゃん、うれしくて楽しくてたまらなかったでしょう、と思われるかもしれない。

ところが、そうでも無いんですよ。

 

意外に思われるかもしれないが、1人で海外に行くということは、全責任を1人で負う、ということでもあるので、気が休まる暇は、そんなに無い(気を抜いた時が一番危ない、と私は思っている)。

 

 

日本で準備している段階から、マイ合言葉は「どうすればリスクを分散できるか?」で、浅知恵を絞って「盗まれた時は・・・電源落ちた時は・・・眼鏡割れた時は・・・死んだ時は・・・」と自分なりに対策している。

 

 

私みたいなボーッとした人間は、歩いていようが宿泊していようが、基本全方位警戒体制ぐらいで丁度いい。

さらに、回復思考(®︎ストレングスファインダー)が高いから「これ合ってる?間違ってない?」アラームが常に頭の片隅で鳴っている状態なので、正直、疲れる。

 

 

でも、この疲労は仕事や家事でグッタリした時の疲労とは種類が違う。 「まだやれる」と思う。そこに疑いがない。

 

 

「価値」に近い行動、それは疲れを知らないということ。力が湧いてくるということ。寝食を忘れてでもやってしまうこと、と学んだ。

私は、寝食を忘れていた瞬間が確かに、あった。

 

 

あなたは、ついつい夢中になり、時間も飲食も忘れ、取り組んでしまうものがあるだろうか。または、そのぐらい何かに没頭した時代があっただろうか。

 

 

自己基盤の学びは全てがお互いに影響し合う。『価値を中心に最適応する』に、人生における『未完了を完了させる』より良い人生のための『コミュニティを深める』様々な事象に自分がどのように関わっていくか『基準を引き上げる』その他全てが関わっていく。

 

 

学びの全てが、グダグダして踏ん切りをつけない、一歩を踏み出すことをためらう、理想から程遠い、ミスだらけのくせに思い上がった自分(あえてネガティブに表現します)が一歩を踏み出そうとする時に助けてくれる。

 

 

もしこれを読んでいる人で、自己基盤...パーソナルファウンデーションを知らない人がいたら、ぜひ、この一言で表現し難い学びの一旦に触れてほしい。

自己基盤を学ぶ人々の人生を知るだけでも、あなたの何かに刺激を与えると思う。

 

 

「何それ?教えて」「旅行の話をしたい」「自分の呪い(笑)について聞いてほしい」という方は、以下へ。

 

『オタクの人生をより良く』
あき(パーソナルコーチ)

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自己基盤界隈の本

 

コメントでは賛否両論ですが、以下も。 

 
実際の旅の話。今後も随時アップします。

otalife-coach.com

 

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