やかんの蓋がぶっとんだ。日常で起こる(そして、おそらく年齢と共に頻度を増していくであろう)単なる不注意で、まあぶっとんだら拾えばいいだけの話であるが、プラスチックのつまみが折れた。
ぱっくり無惨に割れたプラスチックの中心に、そこだけは丈夫な金属の『しん』が、外側の無惨な劣化とは無縁の輝きでピカピカと顔をのぞかせていた。
拾い上げた『ふたのツマミの残骸』をまじまじと眺めながら、さすがに買い替えるか、と考えた。
ヤカンは就職したばかりの頃、郊外の赴任地の近くのホームセンターで購入したものだった。改めて計算すると四半世紀以上、私の台所に鎮座していたことになる。(ついでに言うと、四半世紀、と言葉にした途端に認識した歴史と重みにちょっと目眩がしそうな気がした。)
結婚した時、夫はヤカンを持っていなかったので(鍋でお湯を沸かして毎日茶を飲んでいた)私のヤカンはそのまま新しい家庭の台所に採用された。
ヤカンは日々酷使され、使用開始後10年を過ぎた頃、やはり蓋のツマミのプラスチック部分が折れた。
蓋のツマミ以外、どこにも問題ないのだから何とかして修理できないものか、と思ったが、ホームセンターや百均に売っているつまみは使えなかった。
それらは蓋に穴が空いていなければ取り付けることができないものだったからだ。そして件のヤカンの蓋に穴は開いていないかった(ツマミは溶接されていた)
その時の私は、『金属に穴を開けることができるのは、金属加工の道具を持っている人か、そういった仕事をする人』と思い込んでいて、知り合いおらんしなあ、近場に加工業者とかいないしなあ、とちょっとした不便を我慢して過ごしていた。
これは地味に不便だ、火傷しそうになる、穴さえ開けば簡単なのに、という私の愚痴を聞いた夫が「そいういうの、モリさんに頼めば何とかなるかもしれない。聞いてみる」と言った。
モリさんの所に持って行った蓋は次の日には返ってきた。蓋の中央に空いた穴に、小躍りするような気持ちで修理用のつまみをねじ込んだ。
就職したての頃から使用しているヤカンは無事に延命して、その後も焦げ付いた肌を晒しながら台所の第一線で働き続けた。
そういうわけで、蓋に空いた小さな穴を見ると、モリさんのことを思い出す。
モリさんの年齢や本名は、実は知らない。
退職した爺さんたちが趣味で海作業したり畑作業したりする、そんな集まりの中にいる1人で、夫がしばらくその集まりに参加していた関係で、私も自然と知り合いになった。
小柄で、朗らかなじいちゃんだった。たぶん家族はいなくて、1人で暮らしていた人だと思う。
モリさんは気持ちよく頼まれごとを引き受けてくれる人なので、農家の植え付けや収穫の時とか、軽作業する時に、よく手伝いに行っていたらしい。
朝は海を手伝って雑魚をもらって帰り、昼は山とか農作業を手伝って、野菜をもらって帰る。日本昔ばなしみたいな生活を、たぶんしていた。
モリさんは、軽い木工とか金属加工とか、いろんなことができる人だったみたいで、重宝されていたのだと思う。
モリさんは軽バンに乗っていた。整頓できるタイプの人ではなかったみたいで、バンの中にはいつ積んだのか、いつ使用するのかわからない段ボールがどちゃどちゃ入っていた。
その重なった段ボールの隙間に子猫が住んでいた。あっちとこっち、2匹ニャアと出てきて、ダッシュボードの上にまわり、シートの上にぴょんと飛び降りて、悠々と車の中を歩き回っていた。
近所にいた猫だよ、と言って、モリさんは小皿に餌を入れて車の中に置いた。子猫は尻尾をふりながらゆっくり近づいてきた。そんな子猫にそっと手を出そうとしたが、激しく威嚇された。
車の中には、古い餌の入った小皿もそのまま置かれていて、モリさんがバックドアを開けた時には、猫のおしっこの臭いとか、古い餌の臭いとかで正直、卒倒しそうなぐらいだったけど、子猫は小さくて、白いフワフワした毛が本当に可愛かった。
モリさんはそんなカオスな軽バンを平然と乗り込んで「じゃあ、またね」と運転して去っていった。
あの猫がその後どうなったかわからないけれど、モリさんは変わらず頼まれごとに朗らかに応えながら暮らしていたんじゃないかと思う。
しばらくぶりにモリさんの話が出た時、聞いたのは「認知症が進んでいるらしい」ということだった。
体を動かすのがしんどくなって、人と会って喋るのが億劫になって、ちょっと体調を崩したりすると、認知症のリスクははっきりと上がる。
その後、そう間をおかないうちに「施設に入った」という話を聞いた。
どうしているんだろう、と思っていたら、しばらくもしないうちに「モリさんが亡くなったらしい」と聞いた。
子育てとパートをしながら生活する私の時間感覚からすると、『あっという間』だった。
え、ついこの間調子が悪いって聞いたばかりだったのに、という感覚。私よりもゆったりとした時間の中で生きている爺さん達にとっては、そうでなかったのかもしれないけれど。
モリさんという人がこの世からいなくなったという、少しチクリとする事実は、毎日の料理と洗濯、仕事や弁当づくりや習い事の送り迎え、LINEのやりとりなんかで簡単にかき消される。埋もれていく。
埋もれていくから、今でもどこか、山の畑の近くに軽バンを停めたモリさんがいて、「ちょっとこれに穴開けてもらえませんか?」と声をかけたら、ニコニコとやってくれそうな気が、どこかでしている。
そして、「いやいや、モリさん亡くなっちゃったんだよなあ、そんな気がしないけど」と奇妙な気持ちになる。私がモリさんの入院や葬儀に立ち会っていないからかもしれない。
入院やとむらいごとに全く立ち会わなかったことが、良いのか悪いのかわからない。立ち会わなかったために、私の中のモリさんは「どこかで生きている人」のままだ。
私の日常は相変わらず、毎日の料理と洗濯、仕事や弁当づくりや習い事の送り迎え、Facebookのチェックなんかで、知っている人が亡くなったという事実は薄れている。
でも、ヤカンの蓋に開いた穴を見たら、モリさんを思い出す。
軽バンの中の段ボールや、車の中で走り回っていた子猫や、道路脇の畑を思い出す。ヤカンの蓋に穴が開いて戻ってきた時の嬉しい気持ちも。
本当の「死」は、死んだ人のことを誰も思い出さなくなった時なのだそうだ。
もし、ヤカンを買い替えてしまったら。およそ10年後につまみが折れて、10年ぶりにヤカンの蓋にあいた穴を見ることはないだろう。見なければ、モリさんのことを思い出さないかもしれない。
やっぱり買い替えるのはよそう、と思った。